ヨーガとは?さらに深く。。 肯定的に定義する7種類の仕方

肯定的に定義する7種類の仕方

1. ヨーガとは統合や結合を意味する言葉である。自分自身の意識と肉体との融合。そして人間と自然界の融合、しいては宇宙との融合である。

なにかこの地球、宇宙にBig spiritと言いますか、なにか計り知れないエネルギーパワーがあると感じている。だから人と神との結合、人間の意識と神様の意識の統合、という言葉もすんなり入って来きますね。
ヨーガ= Yuj (ヨーク)が語源であり、結びつけるという意味である。小我から大我へ。小さな自分から大きな自分へ意識が広がって行くものである。

2. ヨーガとは心の働きを制御することである。

パンジャリ大師の言う心の働きの制御とは、
「ヨーガとは心素の働きを止滅させることであり、心素の働きが止滅すれば観る者たる真我は、その本性にとどまる」

< 心の5状態 (ウ゛ィヤーサ・ウ゛ァーシャ) >
1. 混乱した思考状態(クシプタ)
2. 無我夢中の思考状態(ムーダ)
3. 誤選して混乱した思考状態(ウ゛ィクシプタ)
4. ゆっくりした静かな専心状態(エカーグラ)
5. 思考作用の停止した止滅状態(ニルッダ)

5運動器官、10感覚器官、5知覚器官を理智と強い意志でコントロールする。

心の働きの制御という時に、二つの意味がある。
1 ある対象物に集中させること。
2 心の働きを常時静めておくこと。

欺くの如く諸感覚器官の働きをしっかりと制御することが、ヨーガといわれている。人生時々いろいろなハプニングが起こると、混乱、無我夢中状態などになる時もある。がこれらの心の状態に早い段階で気づき、コントロールして行く事が出来る。

3. ヨーガとは心の作用を平静にしてゆくことである。

ヨーガ・ウ゛ァシシュタに記されるには:
「ヨーガとは意志の働きを静める巧みなやり方、ウパーヤハである」
瞑想、祈り、マントラなど。

真理を追究していく。
・聴風
・熟考
・深い瞑想状態

そして悟りと導かれる。

4. ヨーガとは肉体と意識(知性、感性)との調和状態を造ることである。

型を舞うアーサナ、意識する呼吸、行為にのみ専念。

「アルジュナよ。執着を捨て成功と不成功とを平等のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為を為せ。ヨーガは平等に境地(サマトウ゛ァ:うまくいくかどうかは考えない/二羽の鳥は追わない)であると言われているのだ」
=カルマヨーガ
バガバッド・キーター

肉体と心の調和はとても大切。
家や会社などの事が心配で心と体がバラバラになると、不眠症になる。
それをアーサナで改善するには、アーサナを目を閉じて集中してじっくりと、その場だけに集中していって、心のトレーニングをしていく。分離しない様に。もし心がここにあらずだったら、一日が負けてしまうので気をつけよう。

5. ヨーガとは上手な行為の仕方である。

何をするのではなく、如何に行為しているかが大切。バガウ゛ァッド・ギータ「ヨーガとは行為を為す際の技量なのである」
この技量とは、行為の際にリラックスしつつ、必ずその行為を意識しておく事である。この様に全てはプロセスが大切なのである。結果はわからない、結果はあとからついてくる。だからその時に集中するのが大切なのだ。結果を心配しないこと。プロのスポーツ選手にもこのことは教えられている。

6. ヨーガとは人間の進化を自然に加速させる方法である。

意識の革命、平等感。
スワミ・ウ゛ィウ゛ェーカナンダ大師曰く、
「ヨーガとは人の存在をその一生涯のうちに、あるいは数ヶ月、数時間のうちに変革させてしまう手段である」
つまり人間存在を動物の次元から神人、神様の次元へと変革させてくれる手段である。

ヨーガの行者はカウンセリングが上手なのである。それは心の事をよく知っ
ているから。そして人の良い所を引き出してあげられることも可能である。人は一瞬にして人生が変わる事が出来る。その手助けをしてあげられる。

ヨーガとは人格の各種の次元(肉体、生気、感性、理性、霊性)の統合を意味する。
シュリ・オーロビンド大師曰く、
「ヨーガとはひとの存在を肉体的、感覚的、情動的、知的、霊的という総合的に成長せしめる手段である」
つまり、個人の中に潜んでいる可能性を引き出して、完全な自己存在を生じさせる手段であると言う。
その人物の仮面(ペルソナ)と真の人格との調和。
「斯くの如く諸感覚器官の働きをしっかりと制御することが、ヨーガであると言われている。この時行者は注意深くあらねばならない。それというのもヨーガは(この世を)生じさせ、あるいは消滅させるからである」

自分の心次第ということである。だから心の操縦を上手になっていこう。


言葉にするとヨーガって難しいですねー。
これらの事を知ってヨーガを行じるのはもちろん近道ですが、ヨーガとは上記の事などなどなにも知らないで、ただ行じて居るだけでもこれらの事をゆっくりと発見できる、気づいていけるもののはず。
上記の事も知識だけで知っているだけではなく、これらを実際的に気づき、感じてこそ自分の物になるというもの。
日々の小さな気づきも大切にしたいものです。